Beyond the Cloud

クラウド、IT、女性をめぐる本と思考の旅

デパートの洋服売り場はもう飽きたーー『誰がアパレルを殺すのか』

 

誰がアパレルを殺すのか

誰がアパレルを殺すのか

 

 この本、図書館で届いたので読んでみたけど、面白かった!日本のアパレル業界がいかにまずいかってことを書いた本ですが、自分自身の消費行動を振り返ってなるほどと思うことが多かった。

私自身の服の買い方でいうと、確かにここ数年デパートで服を買うことが滅多になくなったと感じる。セール時期になれば3割引になる服をプロパーで買うのは馬鹿らしいし、セールに行ってもどこも似たようなものばかりで欲しいものがない。なのでコスメか靴くらいしか買わなくなった。2年前にお得さに惹かれて入会した東急百貨店友の会も、買ったのは結局コスメと雑貨のみ。デパート天国の渋谷勤務でもなくなったので、東急はやめて三越ロジェ・ヴィヴィエ貯金をするかどうか迷ってるが多分しない。

アトレとかルミネとかのSCで買うことはあるけど、最近じゃ店頭でチェックしてサイズ確認して、その場でネット(ZOZOTOWNを筆頭に)で買ったりする。その方がポイントが貯まるから。

ニットとかベーシックなアイテムはユニクロで十分。ルメール、イネスコラボはデザインもクオリティも十分なので、むしろ積極的に買いにいく。ちょっと背伸びした上質なアイテムが欲しい時はwajaで海外ブランドものを買う。GILTで買うこともある。最近のネットショップの素晴らしいところは、商品写真のバリエーションとサイズ表記がきちんとしているので、試着しなくてもだいたい着た時の感じがわかる。靴以外は(場合によっては靴も)ぜんぜん買える。トレンドものがほしい時はZARAに行く。スタイリッシュだし品質も十分。

AirClosetとかZOZOTOWNのおまかせ定期便はかなり気になる。とはいえ私の場合ボトムのサイズ選びがちょっと難しいのと、届く→返品する、の手間が面倒でまだ申し込んでいない。よっぽどセンスの合うスタイリストさんが選んでくれるなら始めるかも。

 たまにデパートの店頭に行って思うのは、私が新卒で入社して「会社で着る服買わなきゃ!」と焦って買いまくっていた10数年前から何も変わっていない。新鮮味がないし、売る側の都合ばかりが目につく。ヤング、キャリア、ミセスなんていうカテゴライズも、10年前から「今更?」と思っていたのに、いまだに変わっていない。

私がこの本を読んで一番面白かったのはアメリカのEverlaneの話。店舗を持たないSPAで、原価率を上げてセールをしない、価格の透明性を担保する、原価の変動で価格を変えるというポリシーに大いに納得。日本でも今後増えてくると思うし、品質と価格に納得できれば、むやみやたらに安くなくてもぜんぜん買うと思う。すぐに3割引、4割引になる洋服を買うよりよっぽど満足度あるお買い物できそう。

ZOZOTOWN一人勝ちの時代はしばらく続くんだろう。それは仕方ないにしても、10年前から変わっていない洋服売り場に何かワクワクする新しいものが入ってくると面白いなと、一消費者としてはそれだけ思う。だって新しいお洋服を買う楽しみを奪われたら、毎日がだいぶつまらなくなってしまうから。

土下座と変革精神

先日、ある人と話をしている中で、どういうわけか土下座の話になった。
 
その人は、自分のビジネスにおいて達成したいことのために必要ならば、自分は躊躇なく土下座をすると言う。そして100億円のビジネスを得られるのならば喜んで靴の裏をなめると言う。自分にはプライドは無いのだと。
 
それを聞いて、なんでそこまで、ともらした私には、土下座をした経験もなければ、勿論100億円を得るために靴の裏をなめようという考えが浮かんだこともない。何かを得るために自分のプライドを捨てて、捨て身になるような状況に追い込まれたことがない。でもその人にはあるのだと言った。私はその人にくらべると自分はまだまだ甘ちゃんだなあと思い、苦笑した。
 
実際に土下座をする必要があるのかどうかはさておき、自分のプライドを捨ててなりふり構わず何かを得たいと思う、その志というのはいったい何だろう?
 
土下座で真っ先に思いつくのは、謝罪だ。自分の、あるいは会社の犯した罪を償うためのポーズ。あるいは、たとえば個人で借金を背負ってしまい、それを返すために親戚に頼らないといけないような状況であれば、土下座をして懇願することもあるのかもしれない。それは個人として背負った責務を果たすための行動だ。会社の経営者として、個人で責任を負っている立場でも同じかもしれない。
 
では、一会社員として、謝罪以外の状況で土下座をしてまで何かを得たい場合はあるのか。自分の立場で考えてみても、私には自分が土下座をしてまでほしい何か、あるいは土下座をすることで得られる何かが思いつかなかった。
 
そういうパッションなりモチベーションを仕事を通じて醸成できるというのは、本当に凄いことなのだと思う。それはおそらく一個人が自分の中だけで保てる範囲を超えている。個人が持ったいっときのパッションは、それが成果につながり、報いられれば次につながり、周囲にも影響を及ぼす。成果が出ない、あるいは報いられなければ継続することは難しい。または、個人のスタンドプレイになってしまった場合も、浮いた存在で終わってしまう。
 
では、高い志を持った人間が、それを継続し、成果につなげるにはどうすればよいのか?
 
個人として必要なのは、スタンドプレイにならないように周囲を巻き込んでinfluenceしていくことだ。自分が見ているものを他の人と共有し、同じ未来を描けるようにして人を動かすことで、個人の志はチームのものになり、組織に影響を与える。つまりリーダーシップ。
 
会社側の立場で考えてみると、やはり人事と評価制度、そして社風だと思う。変革を求めない企業はないと思うが、実際にそれを現場から起こそうとすると、様々な反対や抵抗や軋轢が起きる。今までやっていないこと、やっていないやり方を受け入れることができる人と、そうでない人というのは明確に分かれていて、後者が多い組織では変革を起こすのは難しく、時間がかかる。前者のタイプの人材を採用の基準にすることで、変革を起こしやすくなる。そしてそういった人材を評価することで、社風にも影響を及ぼす。
 
まずは、自分の志を周囲に伝える努力をしようと思う。そして、変革を受け入れる組織というのはどういうものなのかということを考え続けていきたい。

想像力と成熟

paris-eien.com

先日、渋谷の東急Bunkamura ル・シネマで『パリよ、永遠に』(原題はDIPLOMATIE、つまり外交)を観た。ちなみにいきなり本題から逸れるが、Bunkamuraの映画のラインナップはいつも一貫してフランス、オペラ、バレエ、演劇、恋愛、といったBunkamura文化に忠実なセレクションで気持ちがいい。シアター・コクーンに観劇に行ったのは数えるほどしかないが、映画の前にカフェ ドゥ・マゴ・パリでランチやお茶をするのが映画の気分を盛り上げてくれるのでお気に入り。そして昼だろうとお構いなく、必ずシャンパンかスパークリングワインを頼む。ル・シネマで映画を見るのは、そういった一連の体験として楽しい。
 
本題。『パリよ、永遠に』で、パリ破壊を工作するドイツ軍将校のコルティッツに対し、パリ生まれ・パリ育ちのスウェーデン総領事ノルドリンクは個人の立場から、作戦をやめるよう必死の説得を試みる。それはもう、ありとあらゆる方面からやめるべき理由を持ち出し、理で詰め、感情に訴え、時には脅し、ドイツ軍将校の心を開かせて説得のKSFを探る。その交渉のやりとり、絶妙な駆け引きが、演劇を下敷きにしたこの映画の見所なのだが、何よりも私には印象に残った場面があった。
 
理詰めの説得にまるで応じようとしないコルティッツに対し、ノルドリンクは窓際でパリの街を見下ろしながら、「5年後のパリを想像してみてくれ」と問いかける。5年後、戦争が終わり景色が保たれたパリを、コルティッツが家族と共に訪れるとする。その風景はどんな風に見えるかと。コルティッツの回答は無いが、彼に自分がこれからしようとしていることのリアリティと意味を痛感させるには十分な問いかけだ。そして、5年後に君はパリを守った英雄として讃えられることになる、と畳みかける。
 
崩壊が目前に迫った中、5年後を想像させ、今の瞬間が未来にとってどんな意味を持つのかを問うのは、そうそうできることではない。問題が自分にとって切実であればあるほど、今目の前にあることを解決するための具体的な方法論に終始してしまいがちだ。あえて視点を目の前からずらして長期スパンで物事をとらえ、未来からどう見えるかを想像すること。この想像力を持てるかどうかで、人は正しい判断ができるかどうかが変わってくるのだと思う。そして、パリというのは(あえて擬人化するが)この想像力を持った、成熟した都市なのだと思った。
 
翻って今の日本、東京を思うに、この想像力がだいぶ欠けているんじゃないかと。たとえばマタニティマークの妊婦への嫌がらせにしても、電車ベビーカー論争や機内の赤ん坊の泣き声にしても、自分が当事者だったらどうか、あるいは自分が周囲の人間だったらどうか、という想像力を働かせられれば、自分の都合だけを考えた主張や行動は出てこないのではないかと思う。その想像力を発揮できるのは、大人としての成熟の証だ。
 
ついでに、若くかわいく未熟であることがちやほやされる日本の文化に対しても、年を取って成熟した女性のほうがモテる(らしい)フランスの文化を見習えと言いたい。日本よ、特に東京よ、想像力を働かせよ。成熟せよ。私は未熟で自己本位な若い娘よりであるよりも、年をとって成熟した大人の女性でありたい。

日本のクラウドマーケットは本当に拡大しているのか?

IDC Japanが2015年 国内IT市場の主要10項目を発表した。

~ 第3のプラットフォーム上で加速するイノベーションと市場拡大 ~ 2015年 国内IT市場の主要10項目を発表

概要は以下のとおり。

1. 国内ICT市場は微減傾向にあるが第3のプラットフォームの成長は続く
2. エンタープライズモビリティの試用期間は終了し導入効果が厳しく問われる
3. 2015年はクラウドネイティブ時代の幕開けとなる
4. ビッグデータを活用したデジタルマーケティングに向けたIT投資が始まる
5. 第3のプラットフォームはITインフラサプライヤーの自己変革を加速させる
6. IoTプラットフォームを巡るサプライヤー間の覇権争いが激化する
7. 企業内ITユーザー部門が主導する投資プロジェクトが増加する
8. ニューワークスタイルに取り組む企業の増加と職業の再定義が始まる
9. 次世代のセキュリティ技術の導入が進む
10. 各産業のトップ企業が第3のプラットフォームをビジネスプラットフォームとして活用し始める

どれもなるほどと思う反面、私がなんとももやもやしているのはこの辺の部分。

2013年~2018年の年間平均成長率(CAGR:Compound Annual Growth Rate)では、第2のプラットフォーム市場はマイナス2.9%であるのに対し、第3のプラットフォーム市場は4.3%であり、ICT市場の成長を牽引する。2015年の第3のプラットフォーム市場における成長率は、4.6%とプラス成長を維持するのに対し、第2のプラットフォーム市場は3.9%のマイナス成長である。国内ICT市場においては第3のプラットフォーム市場が成長を牽引する。

2015年で言うと、第2のプラットフォーム(クライアントサーバーシステム)がマイナス3.9%であっても第3のプラットフォーム(モバイル、ソーシャル、ビッグデータ、クラウド)が4.3%だから、トータルでプラスでしょ、新しい領域増えてるよね、というロジック。でもこれって本当なんでしょうか?

日本のITマーケットにおけるシステムインテグレーターとユーザー企業の関係

日本の企業のIT基盤のほとんどはSIerがおさえている。設計から構築、運用まですべてSIerにアウトソースするのが普通で、ユーザー企業はそれをレビューするだけ。SIerは大体において自社の取り分を多くするためにがちがちにスクラッチで作りこんだシステムとかオンプレミスで重厚長大なシステムを作って膨大な初期コストを積み上げる。ただしだいたいダンピングされて初期の利益は薄いので、最初にがっちり作りこんでベンダーロックインの構造を作り上げ、運用や追加開発で利ザヤを確保する・・・というのが大体のパターンかと思います。

 

ユーザー企業にとっては、自社内で作ってないので、中身がよくわからず、ITベンダーにだまされてるんじゃないかと思いますよね。だから大企業のIT部門は外部に切り出されて、ベンダーをかねたシステム子会社にして、身内で固めることが多い。資本関係があればガバナンスもきかせられますから。

対して、欧米系の外資は自社内のIT部門が内製でシステム開発までしているところが多い。ベンダーから調達するのはあくまでパーツとしてのハードウェアやソフトウェアで、それを組み上げてシステムにするのはあくまで自社のIT部門のエンジニアです。だから内容を自分たちですべて把握しているし、丸投げはしない、そしてがちがちのスクラッチを嫌がる。コストがはねあがるから。標準サービスが基本のクラウドがアメリカを中心に発展してきた背景には、こういうIT部門の構造も影響しているんじゃないかと思います。

クラウド」は本当にクラウドか?

で、そんなSIerがおさえている国内のITマーケットが、そうやすやすとユーザー企業主導のクラウド基盤に移行するかというと、そんなに簡単ではないですよね。クラウドが目指しているのは、標準化されたサービスをいつでも簡単に安く使えるという世界。これまでSIerがロックインしてきたシステムをユーザー企業自身が作ることができるようになってしまうと、SIerにとってのビジネスが危うくなる。ところが、ユーザー企業には自社でクラウドを構築・運用できるノウハウもなく、今までのシステムを抑えているSIerが強いので、結局ベンダーは変えずにこれまでオンプレで構築してきたものの一部をクラウドに移行して多少のコスト削減をはかる、というのが一般的な「クラウド移行」の落としどころと言えるでしょう。実際、多くのSIerが自社のクラウドサービスや他社のクラウドサービスを活用したシステムを「クラウド」と言っているものの、実態はSIerが使う基盤がオンプレのサーバーからクラウドになっただけで、実態はほぼSIに近いとい。

そう考えてみると、第2のプラットフォームのマイナス3.9%を補うはずの第3のプラットフォームの4.3%は、乱暴に言うならば、旧来のオンプレのシステム基盤がそのままクラウド基盤に移行しただけでないかというように見える。プラスの0.4%だけが、これまでのIT投資にはなかったクラウドネイティブな使い方(ビッグデータによるデータアナリティクスとかIoTとか)なのではないかという気がします。そして、そういう本来のクラウドの使い方ができるユーザー企業はおそらくごくごく少数で、日本のSIerとユーザー企業の関係性が変わらない限り、今後も急激には増えないのではないかと思います。

結論

クラウドマーケットは伸びているかもしれないが、それは旧来のオンプレのシステムがクラウドに移行しているだけ。日本のSIerとユーザー企業の関係性が変わらない限り、本来のクラウドの使い方は大幅には増えない、というのが私の考える結論。

難病闘病記ではなく、道なき道を切り開く、自己実現の本――大野更紗『シャバはつらいよ』

シャバはつらいよ (一般書)

シャバはつらいよ (一般書)

 

 エネルギーのある人、世の中を本気で変えたいと思っている人が、入れ物(身体)にディスアドバンテージを背負ったとき、それを障害として歩みを止めてしまうのではなく、むしろ利用して更に前に進むことができるのだ、ということ。それがまったく悲壮感なく、かといって飄々としているわけでもなく、まさしく等身大に、ユーモアたっぷりに自己描写されている。その姿が本当に凄いと思い、共感し、感動した。そして最後はやっぱり、勇気をもらった。

著者は、仮に難病にならなかったとすると、ミャンマー難民研究の道で業績を残すとか、あるいはNPOとかに行って現地の人たちを支援するとか、そういった方面で大いに力を発揮する人だったのだろうなと思う。実際、大学時代にそういった関心を持って積極的に活動し、社会に出てからも活躍されている方は多くいらっしゃると思います。それがたまたま難病を背負ってしまったが故に、道なき道を自ら切り開いていくことになったと。

前作『困ってるひと』を読んで、読み物としての面白さはもちろんなのだが、ただの"エンタメ闘病記"として面白かったのではなく、彼女自身が背負っている何かのミッションがあり、様々な困難を与えられながらも、それを実現しようとしている姿を見たいと思って読んでいたような気がする。それが今回の『シャバはつらいよ』では更にはっきりと示されていたと思います。

3.11の大地震が起こった時、著者は難病を抱えた人が、災害に遭った状況で、何に困っているか、どうしてほしいかを発信し、人々をつなげようとします。自分自身が薬を手に入れられなければ生死に関わるという状況の中、それでも人の役に立ちたいと考えて行動する人が、ここにいたんだということに素直に感動しました。

その時自分のことを振り返ってみると、なんで自分はぼんやりしていたんだろうと思う。夫が出張で不在の中6か月の子供を抱えて育児休職中の身で、その時は自分の子供の安全をどう確保するかということしか頭になくて、ほかの人の役に立つために自分が何かできるとはとても思えなかった。でも本当は、やろうと思えばなんでもできたのだと思う。できるかどうかでなく、自分が何をしたいと思い、どうすればできるかと考えること。当たり前のことですが、当事者としてそこに踏み込むことの勇気を、教えてもらったと思います。

舌鋒鋭い女の悪口――『邪道モテ!』

邪道モテ! オンナの王道をゆけない女子のための新・モテ論

邪道モテ! オンナの王道をゆけない女子のための新・モテ論

 

 人の悪口を言ってくれる人の話を聞くのは面白い。舌鋒鋭ければ尚更よし。そんな感じの本。

なんでこの本読もうと思ったのか、たしか白河桃子さんの『格付けしあう女たち』で紹介されてたんだったかな。もともと峰なゆかの『アラサーちゃん』のファンで、彼女のシニカルな人間観察の鋭さに括目してたところ、『格付けしあう女たち』で紹介されてて読みたくなったのだった。その人間観察眼はこの対談集でも健在。体裁としては、王道モテに行けない女子のためにどう邪道でモテるか?というハウツーなのだが、基本的に男も女も含めて人を馬鹿にしまくってるところが本当に最低で面白い。それは著者たち自身の「こじらせ女子」ルーツに所以しているのだが、ふたりとも「こじらせ女子」をベースに持ちつつ、最終的には抜け出して20代でモテゾーンに達した人たちなので、基本的にものすごい上から目線なわけです。馬鹿にされている側はたまらないわけですが、もはやそこを開き直って確信犯でキャラを自己定義してマーケットに訴求していくしか30代以降の戦略としては機能しない。そういうことが全体的によく分かる良書でした。

ちなみに後半、邪道モテテク=「アオレンジャー男子」(ひねくれ男子)対策が惜しみなく手とり足とり出てきますが、本当にこれこそひねくれ男子を馬鹿にしているとしか思えなくて不憫すぎる。アピールは小沢健二ゆらゆら帝国村上春樹松本大洋、でも詳しすぎて張り合うと男子は引いちゃうから、あくまで女の子らしくするのがコツなんだって☆

個人的にはひねくれ男子のパターンにIT系エンジニア男子を入れてほしいところです。絶対このジャンルにはまると思うな~。

考えるきっかけをくれた本――『21世紀を生き抜く3+1の力』

21世紀を生き抜く3+1の力

21世紀を生き抜く3+1の力

 

 未来の話をするときってどうしていつもなんとなくポジティブな気分になるのでしょうね?もちろん暗い未来像なんていくらでも現時点でのファクトから描けるわけだけど、まだ決まっていないこれからの社会を思い描くとき、明るくあってほしいと思う。それは自分の手で作ることができる現実だからです。

そんなポジティブな未来をこの手で作り出すために何の武器が必要か、どうやってそれを磨くかをわかりやすく解説してくれているのがこの本。

21世紀に求められる3つのスキル

具体的な武器として、21世紀に必要な3つの力「考える力」「共創する力」「進化する力」を著者はあげている。
どうしてこの3つが出てきたのか?と思ったら、ガートナーが2010年に発表した、今後10年間における10のワークスタイルの変化についてのレポートが元になっているらしい。このガートナーのレポートからのlearningとしてこの3つが適切なのかどうか、そもそも21世紀スキルとして10年間予測のレポートを元にするのが適切なのかどうかは分からないけれど、このレポートはこれはこれですごく興味深い。

Gartner Says the World of Work Will Witness 10 Changes During the Next 10 Years

で、率直な感想としては、実は私はこの3つの力については読んだ当初正直あまりピンと来ませんでした。著者の熱意は非常に強く感じたし、いろいろなエピソードの面白さになるほど思うことも多かったけど、体系立ったフレームワークを自分の中に埋め込まれるような強い読書体験にはならなかった。

自分が目指すものは何かをどう見つけるか

面白かったのは、「21世紀スキルの始め方」でステップで示された、自分が目指すものを見つける方法。おそらくは著者の経験に裏打ちされた、自分が何をやりたいのかをどうやって見つければいいのか、について書いてある部分。ここを読んで、強烈に自分が何をやりたいのかを発見したいと思い、そしてやってみた(途中までだけど)。まだ分からない。こんなんじゃだめだと思う。けれど、そのためのきっかけとなったことは確かです。読むことによって知見を得るのではなく、自分で考えるきっかけをもらえる本。そういう読書体験をさせてくれる本はなかなかないと思う。