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クラウド、IT、女性をめぐる本と思考の旅

想像力と成熟

paris-eien.com

先日、渋谷の東急Bunkamura ル・シネマで『パリよ、永遠に』(原題はDIPLOMATIE、つまり外交)を観た。ちなみにいきなり本題から逸れるが、Bunkamuraの映画のラインナップはいつも一貫してフランス、オペラ、バレエ、演劇、恋愛、といったBunkamura文化に忠実なセレクションで気持ちがいい。シアター・コクーンに観劇に行ったのは数えるほどしかないが、映画の前にカフェ ドゥ・マゴ・パリでランチやお茶をするのが映画の気分を盛り上げてくれるのでお気に入り。そして昼だろうとお構いなく、必ずシャンパンかスパークリングワインを頼む。ル・シネマで映画を見るのは、そういった一連の体験として楽しい。
 
本題。『パリよ、永遠に』で、パリ破壊を工作するドイツ軍将校のコルティッツに対し、パリ生まれ・パリ育ちのスウェーデン総領事ノルドリンクは個人の立場から、作戦をやめるよう必死の説得を試みる。それはもう、ありとあらゆる方面からやめるべき理由を持ち出し、理で詰め、感情に訴え、時には脅し、ドイツ軍将校の心を開かせて説得のKSFを探る。その交渉のやりとり、絶妙な駆け引きが、演劇を下敷きにしたこの映画の見所なのだが、何よりも私には印象に残った場面があった。
 
理詰めの説得にまるで応じようとしないコルティッツに対し、ノルドリンクは窓際でパリの街を見下ろしながら、「5年後のパリを想像してみてくれ」と問いかける。5年後、戦争が終わり景色が保たれたパリを、コルティッツが家族と共に訪れるとする。その風景はどんな風に見えるかと。コルティッツの回答は無いが、彼に自分がこれからしようとしていることのリアリティと意味を痛感させるには十分な問いかけだ。そして、5年後に君はパリを守った英雄として讃えられることになる、と畳みかける。
 
崩壊が目前に迫った中、5年後を想像させ、今の瞬間が未来にとってどんな意味を持つのかを問うのは、そうそうできることではない。問題が自分にとって切実であればあるほど、今目の前にあることを解決するための具体的な方法論に終始してしまいがちだ。あえて視点を目の前からずらして長期スパンで物事をとらえ、未来からどう見えるかを想像すること。この想像力を持てるかどうかで、人は正しい判断ができるかどうかが変わってくるのだと思う。そして、パリというのは(あえて擬人化するが)この想像力を持った、成熟した都市なのだと思った。
 
翻って今の日本、東京を思うに、この想像力がだいぶ欠けているんじゃないかと。たとえばマタニティマークの妊婦への嫌がらせにしても、電車ベビーカー論争や機内の赤ん坊の泣き声にしても、自分が当事者だったらどうか、あるいは自分が周囲の人間だったらどうか、という想像力を働かせられれば、自分の都合だけを考えた主張や行動は出てこないのではないかと思う。その想像力を発揮できるのは、大人としての成熟の証だ。
 
ついでに、若くかわいく未熟であることがちやほやされる日本の文化に対しても、年を取って成熟した女性のほうがモテる(らしい)フランスの文化を見習えと言いたい。日本よ、特に東京よ、想像力を働かせよ。成熟せよ。私は未熟で自己本位な若い娘よりであるよりも、年をとって成熟した大人の女性でありたい。