Beyond the Cloud

クラウド、IT、女性をめぐる本と思考の旅

土下座と変革精神

先日、ある人と話をしている中で、どういうわけか土下座の話になった。
 
その人は、自分のビジネスにおいて達成したいことのために必要ならば、自分は躊躇なく土下座をすると言う。そして100億円のビジネスを得られるのならば喜んで靴の裏をなめると言う。自分にはプライドは無いのだと。
 
それを聞いて、なんでそこまで、ともらした私には、土下座をした経験もなければ、勿論100億円を得るために靴の裏をなめようという考えが浮かんだこともない。何かを得るために自分のプライドを捨てて、捨て身になるような状況に追い込まれたことがない。でもその人にはあるのだと言った。私はその人にくらべると自分はまだまだ甘ちゃんだなあと思い、苦笑した。
 
実際に土下座をする必要があるのかどうかはさておき、自分のプライドを捨ててなりふり構わず何かを得たいと思う、その志というのはいったい何だろう?
 
土下座で真っ先に思いつくのは、謝罪だ。自分の、あるいは会社の犯した罪を償うためのポーズ。あるいは、たとえば個人で借金を背負ってしまい、それを返すために親戚に頼らないといけないような状況であれば、土下座をして懇願することもあるのかもしれない。それは個人として背負った責務を果たすための行動だ。会社の経営者として、個人で責任を負っている立場でも同じかもしれない。
 
では、一会社員として、謝罪以外の状況で土下座をしてまで何かを得たい場合はあるのか。自分の立場で考えてみても、私には自分が土下座をしてまでほしい何か、あるいは土下座をすることで得られる何かが思いつかなかった。
 
そういうパッションなりモチベーションを仕事を通じて醸成できるというのは、本当に凄いことなのだと思う。それはおそらく一個人が自分の中だけで保てる範囲を超えている。個人が持ったいっときのパッションは、それが成果につながり、報いられれば次につながり、周囲にも影響を及ぼす。成果が出ない、あるいは報いられなければ継続することは難しい。または、個人のスタンドプレイになってしまった場合も、浮いた存在で終わってしまう。
 
では、高い志を持った人間が、それを継続し、成果につなげるにはどうすればよいのか?
 
個人として必要なのは、スタンドプレイにならないように周囲を巻き込んでinfluenceしていくことだ。自分が見ているものを他の人と共有し、同じ未来を描けるようにして人を動かすことで、個人の志はチームのものになり、組織に影響を与える。つまりリーダーシップ。
 
会社側の立場で考えてみると、やはり人事と評価制度、そして社風だと思う。変革を求めない企業はないと思うが、実際にそれを現場から起こそうとすると、様々な反対や抵抗や軋轢が起きる。今までやっていないこと、やっていないやり方を受け入れることができる人と、そうでない人というのは明確に分かれていて、後者が多い組織では変革を起こすのは難しく、時間がかかる。前者のタイプの人材を採用の基準にすることで、変革を起こしやすくなる。そしてそういった人材を評価することで、社風にも影響を及ぼす。
 
まずは、自分の志を周囲に伝える努力をしようと思う。そして、変革を受け入れる組織というのはどういうものなのかということを考え続けていきたい。