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小説と、小説らしさの間のせめぎあい――保坂和志『この人の閾』

この人の閾 (新潮文庫)
保坂 和志
新潮社
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実を言うとこの本は大学生の頃に読んだことがある。それも一度きりではなく、数回、理解するために読んだ。保坂和志の小説について書かれた評論も、読んだ。で、その当時はなんとなく説明されて理解した気になっていたが、頭の底のほうでは、こういう小説はあんまり好きじゃないなと思っていた。
が、今回、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』を読んで俄然興味がぶり返し、改めて図書館で借りなおして読んでみたのだけれど、あの当時自分はいかにこの小説の良さを分かっていなかったか、ということを痛感した。面白い、とか、凄い、という言葉では説明できないのだが、とにかく良い、のだ。

小説とは、小説を読むという体験そのものである、ということを保坂氏は前著で言っているが、この小説に収められた4作品はどれもそういった意味でとても氏の言う「小説」であるといえる。ストーリーにドラマはなく、一見特徴のない文体だが、よく読んでみると、他の文学作品によく見られる常套句的な表現や、感傷によって小説的なものにすりかえられた追想を注意深く回避し、平坦な文章をこころがけていることがわかる。文章は書き言葉よりも話す言葉に近く、読んでいるとリズミカルに頭の中に入ってくる(とはいえ文章自体は読みやすいというわけではなく、むしろ風景や人物の所作がそれと分からぬよう仔細に書き込まれているため、いちいち想像しながら読むと意外に読み進めにくい)。小説らしさと、小説を成り立たせる言葉のせめぎあい、そして言葉という武器を持って世界に勇気を持って立ち向かうとはこういうことなのかということを感じた。

以前私がこの小説を読んだときに良さが分からなかったのは、やはり自分が小説、そして小説を書くことにきちんと向き合っていなかったからなのだと思う。本好き、物語好きの自分にとって、評論家がいかに小説を分解し分析しようとも、小説は最終的には物語で、論理ではすくいとれないものであってほしいと思っていたし、またそういうものが小説なのだとも思っていた。

が、近頃自分で小説を書くということにかれこれ10年ぶりくらいに思い至り、書いては見るものの行き詰まり、手法についていろいろと考えたり勉強したりするうち、保坂和志の良さがようやくわかるようになった。小説に対して真っ向から挑んだプロセスこそが小説そのものなのだという信念が、いかに勇気に満ち溢れたものかということが、わかってきた。

小説は論理ですべてをすくいとれないのは当然で、だからこそ世界と向き合うために言葉によって小説にしなければならないのだ、という当たり前のことを、感覚として実感したのは初めてかもしれない。